6.行き先ガイド ~どこに旅したらいいか? お気に入りの場所を紹介。ここらで、楽しい旅の行き先について、イメージを膨らませていただきたいと思う。
一般的な旅行情報はガイドブックに譲るとして、ここでは前章で述べた「おじさんの旅はこうありたい」という旅のスタンスにふさわしい場所というバイアスをかけて、いくつかのおすすめのところをご紹介したいと思う。
●ベトナム
メコンデルタのエネルギーはすごい! 
インドシナ三国のなかでも最近旅行者に人気なのが、メコン河が長い旅路のすえに南シナ海に流れ込むベトナム。とくにメコンの豊穣さを味わうならば旧南ベトナム側だ。社会主義国とは思えないひとびとの熱気と人間臭さは、かつてバンコクやシンガポール、香港などで味わうことができたアジアの猥雑さそのものだ。
ホーチミンシティはベトナムの経済の中心都市。地元のひとびとはいまでも旧称のサイゴンと呼んでいる。勝手にホーチミンと名前を変えた北の支配に抵抗しているかのように見える。こんな反骨精神も、旧南ベトナムのおもしろさのひとつだ。
カフェツアーやファングラオ通りという旅人街もあるなど、旅人にとって便利なインフラも整い、旅のしやすい街となっている。
かつて開高健等の従軍記者たちが投宿しベトナム戦争報道の基地ともなったのがサイゴンリバー沿いのマジェスティックホテル(旧クーロンホテル)。数年前にすっかり改装されてリニューアルオープンしたが屋上のバーは健在で、開高がしたようにグラスを傾けながら夜のはしけの行き来を眺め、数百キロ先で展開された戦闘を思い浮かべてみることができる。
必ず足を伸ばしたいのがメコンデルタ地帯だ。足の便がけっしてよくないこのあたりでは、外国人長期旅行者向けのカフェツアーに参加するのがいい。日本のツアーのイメージとはまったく違うので、ツアー嫌いなひとでも満足できるはずだ。二泊三日で三十米ドルというのもうれしい。
ミトー、カントー、チャウドックなど、メコンが九つの龍の頭のように支流を拡げる一帯の都市を巡り、小舟で運河に分け入ったり水上マーケットをのぞいたりと、それは楽しい旅になる。市場にはものがあふれ、ひとびとは明るくエネルギッシュだ。ベトナムのパワーに圧倒されるに違いない。
これほどまでに観光化されていないナマの生活を間近に見ることができて、しかもエキサイティングな場所というのを、私はほかに知らない。
観光コースとしておなじみの、ベトナム戦争当時のベトコン村を訪ねるクチトンネルツアーも興味深いが、植民地時代に高原リゾートとして開発されたダラットや、美しい海岸線の海のリゾート、ニャチャンなども、日本からの観光客が押し寄せる前に行っておきたいところだ。
●カンボジア
遺跡めぐりでこんなに感動できるとは 
ベトナムからメコンをさかのぼったとなりの国がカンボジアだ。
昔から隣国タイとベトナムの綱引きの場にさらされ、近代では西洋列国、そしてつい最近まで国内勢力のぶつかり合いと、つねに戦場となり悲惨な殺戮が繰り返された土地で、まさにアジアの血の歴史の凝縮されたようなところだ。
政情によってはいまなお危険な地域もあるが、正しい情報さえつかめばカンボジアは旅人にとってこのうえなく居ごこちのいい国だ。
バンコクで長期滞在者のたまり場として有名だったジュライホテルが閉鎖され、多くの旅行者がプノンペンに移ったというのも、カンボジアの魅力の一端を物語っているのかもしれない。もちろん、御禁制の品々が手に入りやすいという彼らにとっての特殊事情があってのことではあるだろうが、のんびりした国民性と天の高い抜けるような空、そして物価の安さは旅人にとってたいへんな魅力だ。
ハイライトはなんといってもアンコールワット。遺跡に興味のないはっぱ漬けの白人旅行者でも、アンコールにはせっせと通っている。何百年の時間を超えて流れる大きな時間は、深淵でひとのこころを動かす。
アンコールワットの遺跡めぐりは、バイクタクシーを雇うのが個人旅行者にとっては一般的だ。小さなバイクの後部座席に座ってドライバーにしがみつきながら走る。最初は怖いが、馴れると爽快だ。ドライバーにコースを任せて、二日か三日、アンコールワットからアンコールトムへと回る。高い塔に登り、心地よい風に吹かれてみると、日本での雑事をすっかり忘れ去ることができるだろう。
バンコクからアンコールワットのあるシェムリアプまで直行便が飛びはじめ、便利になった。またタイから陸路で国境を越えシェムリアプをめざすアドベンチャールートに挑む旅行者も増えてきた。プノンペンからは飛行機のほか、トンレサップ湖をスピードボートで渡っていくルートもある。こうした陸路を行くコースは以前はゲリラ活動が盛んで危険を伴っていた。最近になって旅行者がこうしたルートを比較的安全に通れるようになった。これもポルポト勢力が力を弱めカンボジアに平和が戻りつつあるおかげである。カンボジアは、われわれが忘れかけていた、平和であることの素晴らしさが実感できる国でもある。
ただし、カンボジアの政情はかならずしも安定しているとは言い難い。つねに最新の情報を集めて、少しでも危険な状況ならルートを変えるなどの対策をとることが必要だ。
●中国・雲南省
ここはもはや中国ではない!? 
ラオスからさらにメコンを遡上すると、麻薬王クンサーで有名なタイ、ミャンマー、ラオス三国が国境を接するゴールデンントライアングルに、さらにのぼると中国領内に入り、シーサンパンナから昆明、大理、麗江と続く雲南省にやってくることになる。
雲南は中国のなかでは暖かく、一番旅行しやすいところだ。北京や上海に住む金持ちたちが、たくさんの少数民族がくらす桃源郷を夢見てやってくるところでもある。いわば中国有数の観光地でもあり、旅の施設も整っている。ほかの都市に見られるような高いばかりでひどいホテルというのもないし、服務員の「メイヨー」(何を聞いても不機嫌に「ないよ」を連発される)に悩まされることもない。
シーサンパンナ(西双版納)は、その名前を聞いただけでも行ってみたくなる美しい響きを持った名前の地域である。実際、昆明などに比べると高度も緯度もぐんと下がって、椰子の葉茂る熱帯となり、住むひともタイ族が多くなる、いわば中国のなかでも南国の色彩の強いところだ。
シーサンパンナの中心都市景洪から一時間ほどメコン沿いに下ったところにあるカンランパという街に数日滞在したことがある。華やかなサロンを着たタイ族が行き交う異国情緒いっぱいの活気のある街だ。
●ネパール
現代の桃源郷がここに 
ネパールは遠い。とくに旅行者にとっては航空運賃の高さから、つい足が遠のいてしまう。しかし、たとえば旅で人生を変えたいと思ったら、まず訪れたいのがネパールである。
ネパールの首都カトマンズまでは、関西空港からロイヤルネパール航空が飛んでいる。ところが、これが高いのだ。ヨーロッパ行きの飛行機代よりも高いことさえある。したがって一般的にはバンコク乗り継ぎで入ることになる。便数も多く、値段も若干安い。
ちょっと旅の通になると、バンコクまでは日本で買い、バンコク~カトマンズを現地発券の航空券で飛ぶという高等テクニックを使う。バンコクは格安航空券のメッカであり、バンコクから世界中の都市への航空券が安く買えるのだ。
無事にネパールに着いたらぜひ訪れたいのが、ポカラだ。
アジアきってのパラダイスはどこかと聞かれたら私は迷わずポカラを挙げたい。
カトマンズから十七人乗りの飛行機に乗って五十分、バスなら八時間。この距離は、桃源郷にいたる道のりとすれば苦にはならない。
ポカラは、ペワ湖という大きな湖に面した高原リゾート地だ。とはいっても、高級ホテルが建ち並んでいるわけではない。交通の便がよくないこともあって、海外の大手開発資本が進出しない、いわばローカルなリゾート地だ。もともとアンナプルナなどヒマラヤ登山の基地として有名だったが、六十年代にヒッピーたちがここの居ごこちのよさに気づきどんどん押しかけはじめ。
ヒッピーたちが去ったあと、ヨーロッパなどから長期の旅行者やリタイヤしたひとたちがのんびりとした時間を過ごすためにここを訪れるようになり、彼らのためのホテルやレストランなどが続々とできるようになった。
現在、ペワ湖のほとり、レークサイドと呼ばれる地区と、そこから五キロほど離れたダムサイドと呼ばれる地区に二百軒ものホテルが建ち並んでいる。お客はすべて外国人。いわば、ネパールのど真んなかにできた外国人村である。
ホテルとはいっても高級ホテルは少ない。ほとんどが千円以下のベーシックな宿だ。それでもこぎれいな内装と清潔なベッド、ホットシャワーがつき、窓からはヒマラヤの山々が望めるといった、リゾートに欠かせないものはすべて揃っている。レストランも、ヒンズーの国なのに牛肉のステーキ屋からピザハウス、中華から日本食までなんでも揃っている。
旅行者たちは自転車を借りて街を走りまわったり、こぎ手付きの貸しボートでペワ湖のさざ波にのんびり揺られたりして過ごす。ボートのこぎ賃はなんと一時間六十円。申しわけないような値段だ。
ボートは大きな湖を二~三時間かけてぐるっとまわってくれる。寝そべって身体を伸ばし、空を見上げる。筆で撫でたような雲が浮かび、対岸の山の上まで連なる段々畑では腰を曲げた老婆が畑仕事をしている。ときどき水鳥が頭のすぐ上を飛び去り、はるか彼方、湖岸の道路ではボンネットバスが土煙をあげて走っていく。
平和を絵に描いたような光景である。少年の頃こんな光景を見たような、そんな懐かしい静かな時間が流れていくのだ。
ぎいーっ、ぎいーっという櫓の音が延々と続く。ひとに漕いでもらうボートがこんなにも楽しいものか。いまどき女房だってボートに乗せて漕いでくれるなんてしてくれそうもない。考えてみれば、日本では到底かなわない贅沢の極みである。このボート遊びだけでもポカラに来る価値があると思う。
その他、ネパールにはおじさん旅行者がぜひ訪ねたいところはたくさんある。首都カトマンズはもちろん、となり町のパタン、古都バクタプル、エベレストを望むナガルコットなど、ただ美しいだけでなく、こころに深く浸み入る風景がネパールの特徴である。
●ミャンマー
イラワジ河の夕陽にテツガクしよう 
ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた仏教国である。長く鎖国状態にあったため経済開放が遅れ、軍事政権は必死に市場開放、外資導入を進めている。が、同時にごぞんじの通りアウンサン・スーチー女史の拘束に象徴される人権弾圧の強権政治も行われており、欧米の旅行者の間では、渡航ボイコット運動も行われている。
ひとびとは男も女もいまだにロンジーという巻きスカートを履き、女は顔にタナカというおしろいをつける。仏教が深く生活に浸透し、挨拶に胸の高さで両手を合わせる。そんなひとびとのノーブルな暮らしぶりがなによりの魅力だろう。こころ洗われる思いは、きっとミャンマー滞在中だれでも何回も経験することだろう。
さらに第二次大戦までイギリスに支配されていたこともあって、洗練された英国文化のなごりがそこここに見られるのも、ミャンマーの魅力をより深いものにしている。
ミャンマーの見どころは地方だ。かつての王都だったマンダレー、世界三大仏教遺跡のひとつであるパガン、カラフルなロンジー用の織り布の産地で、独特の水上生活者が見られるインレー湖など観光的魅力はたくさんある。
パガンは、旅情を誘うに充分なところだ。パガンに来た旅行者にとっての定番メニューは、何日かをかけての遺跡巡りだ。遺跡巡りといっても堅く考える必要はない。なんと、馬車を一台雇い荷台に揺られながらの遺跡巡りなのだ。 カラコロカラコロ……。御者が警笛代わりに鞭の杖を車輪に当てる音がのどかに響く。見渡すかぎりの半砂漠化した大地をそうしてゆっくり走りながら、ひとつひとつ朽ちかけたパゴダや往事を偲ばせる壮麗な寺院を見て歩くのだ。そう、まるでインディ・ジョーンズにでもなった気分で歴史探検を楽しむのだ。
やがて夕暮れ。遺跡の急な階段を登り高台に立って、大小二千とも三千ともいわれる遺跡群が赤く染まるのを待つ。荘厳な風景を目の前に、人生の深遠さに思いを馳せる。生きるとはなにか、などとテツガクしてみたくなる時間が訪れるのだ。
●タイ
ここで人生を変えた人も捨てた人も
アジアといえばタイである。アジア特有の混沌世界、熱気と湿気、農耕をベースにした伸びやかな社会システム……。そうしたアジアらしさをつくるすべてがタイには凝縮されている。
おまけに首都バンコクはアジア各国の航空網のハブ(車軸)の機能を持っているので、アジアを旅行する旅人は好むと好まざるに関わらずタイに立ち寄ることになるのだ。
カオサンに象徴される旅行者を受け入れてくれる開放感はタイ全土にあり、楽しく旅行ができる素地を備えた国ということができる。
タイのおすすめとなるとありすぎて困るほどだ。
南のビーチリゾートもいい。日本人にはおなじみのプーケットやサムイも捨てがたいが、いまやハワイ以上に開発が進み、タイなのかどこなのかわからないほどになってしまった。むしろひと昔前のビーチリゾートであるパタヤのほうが、ベトナム戦争当時に咲いたあだ花の残り香を感じさせるアナクロニズムが楽しめていいくらいだ。
いま、ベストなチョイスというと、バンコクから東に三時間、地元の若者に人気のラヨーンか、サムイからさらに船で一時間と足の便は悪いが二十年前のプーケットを思わせる素朴な自然と村のくらしが残るパンガン島だろうか。
ラヨーンはバンコクの房総半島みたいなところで、比較的カジュアルなビーチリゾート。いくつか高級リゾートも誕生し、可処分所得の高くなったタイの一般のひとたちが結構いい休暇を送っているのを見ることができる。とくに沖合のサメット島は老舗のリゾート地だ。
一方のパンガン島は、ハワイともバリとも違う、南タイらしい風景の残るバンガロー中心の素朴なリゾートだ。二十年くらい前のプーケットやバリのクタビーチなどがそうだったが、ここもヒッピーふうの貧乏旅行者が目をつけはじめたところで、ゴーギャンがタヒチで体験したようなエキゾチックなパラダイス気分を味わうことができる。若者たちは毎晩のようにビーチパーティーを開き、だれでも参加して夜遅くまで騒ぐこともできる。
かつてはこうしたパーティーにはマリファナがつきものとされ、満月の夜に開催されるフルムーンパーティーのためにやって来る若者も多かったが、最近では当局の厳しい取り締まりで少なくなってきている。これも自己責任に基づいて関与するもしないも自由だが、旅行を中止しなければならなくなるどころか、場合によっては死刑ということもありうることを充分にこころされたい。
北に目を転じると、チェンマイを中心にした北タイがたいへん魅力的だ。
チェンマイは美人の多いことでも名高く、われわれの年代ではかの玉本さんの名前を思い浮かべるひとも多いと思うが、現在でも女性の美しさと優しさに溺れて沈没状態のひとは多いようだ。私には経験がないが、日本での豊かな暮らしを捨ててでもはまってしまいたいと思うような、素晴らしい女性との出会いがあるのかもしれない。
さて、チェンマイの魅力だが、現地のひととふれあうことだ。無数にある寺を訪ねてお坊さんと話をする。郊外のドイ・ステープ寺院に行くとタイ中から観光客が集まり、日本人と見るとあれこれ話しかけてくる。さらに足を伸ばしてチェンライからミャンマー国境の街メイサイまで行くと、実はチェンマイ美人の本当の産地はここ、と言われるくらいに日本人によく似た色白で控えめな女性と話ができるチャンスがあるかもしれない。
北タイのもうひとつの魅力は、山岳少数民族の部落を訪ねて歩くトレッキングだ。よく日本のツアーで行くのは日帰りのトレッキングだが、せっかく個人で行くのなら二~三日の現地ツアーを楽しみたい。
ジープ、徒歩、いかだ、そして象とさまざまな移動手段で山間のいくつかの山岳民族を訪ねて歩く。ある程度観光化されているのは覚悟しなければならないが、それでも、日本での生活とのあまりの違いに考えさせられるところの多い旅となるはずだ。 ツアーは現地にくわしいインストラクターがつき、宿泊は少数民族の村となるので少々冒険旅行にはなるが、日本では体験できない新鮮な旅になる。もちろん、おじさんの体力でも充分走破可能なコースだ。
●マレーシア
しばし探検家気分
マレーシアは海洋アジアの象徴ともいえる。なにしろ国土が広大な南シナ海をはさんで東西にわかれるという、バングラデシュ独立前のパキスタンのような状態を呈しているのだ。これも、旧宗主国英国の版図をそのまま新マレーシア国土としたから生じた奇妙な領土といえる。そのなかにマレー系、中国系、インド系など多様な人種と宗教を飲み込んだ複雑な国家となっている。それらをいかにまとめ上げるかがマハティールに課せられた大きな課題となっているほど、国の成り立ちは多くの難問を生じさせている。
しかし、この多様性こそがマレーシアの魅力である。日本では考えられないほど見事に民族間の棲み分けと溶け合いとがほどよく進行している。マレー半島側の西マレーシアはかつて金子光晴が彷徨したマラッカやペナンなど海峡植民地の色彩を色濃く残した伝統的な街が多い。金子と同じようにマラッカ海峡に沈む夕陽を粛々たる思いで眺め、自分の来し方を振り返ってみるのもいい。
マレーシアでのおすすめは、実は東マレーシアだ。ボルネオの名前でおなじみの島の北約三分の一がマレーシア領となっており、サバ州サラワク州の二州からなる。
日本では山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で有名になったサンダカンの街があるところでもある。コタキナバルのような近代都市がある一方で、すぐ背後に深い熱帯雨林のジャングルを抱えているのがボルネオの最大の魅力である。日本から直行便も飛ぶコタキナバルから国内線を乗り継いですぐにジャングルのどまんなかに入っていくことができる。
マレーシア政府は環境と調和したエコロジーツアーに力を入れており、かつては冒険者にしか許されなかったジャングル奥深くの旅が、子ども連れでさえ可能な「ソフトアドベンチャー」ツアーとして楽しめるようになった。
ジャングルの川を小舟で進みテングザルやサイチョウを間近に見たり、ウミガメの産卵を研究者といっしょに観察したりという、新しい旅行のありかたを先取りした試みがなされている。ディズニーランドのジャングルクルーズがバーチャルでなくリアルに、しかもディズニーランド並みの安全が保障されたなかで体験できるというのは旅行者に新しい視点を与えてくれる。しかも、厳格な入域制限が行われており、環境との両立という難しい課題にも応えようとしている。
サラワク州のミリという街から小型飛行機で四十分ほどのムルという集落は、ジャングルのなかの巨大な洞窟で有名なところだ。六~七年前までは川をさかのぼる船で二日がかりでやっとたどり着ける秘境だったが、小さな空港ができたおかげで手軽に入れるようになった。
ここになんと日系のホテルがジャングルリゾートホテルをつくったのだ。川が大きく蛇行してバンクをかたちづくっているところに木製のデッキロードが張りめぐらされ、デッキに沿ってレセプションやレストラン、ロッジスタイルの客室などの建物がつながり、プールまで含めてそれらすべてが川の上に建つという変わったホテルだ。
ここのハイライトは、夕方五時ごろから毎日始まるバットフライング。洞窟に棲むコウモリたちが夕暮れどき、晩ごはんを求めていっせいに洞窟を飛び出すのだ。その数、二十万とも三十万ともいわれる。私は観察場所への到着が遅れ、ピークを見逃してしまったのだが、それでも龍が天に昇っていくように一条の太い帯となってうねりながら無数のコウモリが飛び去っていくさまは圧巻である。