IE9ピン留め

スロートラベルへようこそ

旅行作家の荒木左地男が、世界60カ国以上の旅の体験から、
スロー・トラベル、ロングステイなど、新しい旅のスタイルを提案します。




トラベル・ブログ・・・旅関連の最新情報やサイト管理者の活動をお伝えします。

「スロートラベルへようこそ」目次
1.おじさんスロー・トラベルの哲学
2.おじさん旅
3.おじさん一人旅を分析
4.実践例を紹介
5.おじさん旅はこうあるべし
6.行き先ガイド
7.一人旅のノウハウ
8.著書案内 「おじさんだってアジアに行きたい」の紹介
9.プロフィール
10.お知らせ
                                    



会社を休んで(やめて?)旅に出よう。
アジアが人生を変えるかも。
おじさんのための
新しい旅のスタイル提案









仕事と遊びと家庭を大事にし続けながら、
ひたすらアームチェアの上で旅を夢想してきた男たちよ。
いまこそ、大人ならではの旅に出立しようではないか!
飼い慣らされてしまった放浪の血が、
アジアの雑踏の中で騒ぎ出す。
久しく求めていた癒しが、波音や満天の星で満たされる。
シルバーと呼ばれる年齢では遅すぎる何かを求めて、
旅で人生が変わるかどうかはわからないが、
おじさんだって、旅に出たい。
自分の時間を自分の人生のために使うという、
当たり前のことをするために。

Old Boys、Be Ambitious!




# by slowtravel | 2011-12-31 23:59 | トップページ 

ツーリズムサミット2010   旅のライバルはWiiだ!



旅行業界の恒例イベント「ツーリズムサミット2010」(TIJ日本ツーリズム産業団体連合会主催)が7日、東京プリンスホテルで開かれた。

大テーマは、もちろん、旅行市場の落ち込みにどう歯止めを掛けるか。
若者の旅離れがどんどん進んで行く中で、家族旅行だけは堅調なんだそうで、これに業界の未来を掛けましょう、というのが今年のテーマ。

最初に、なにかと話題の溝畑宏観光庁長官が派手なパフォーマンスでスピーチをして早々と退席。


目玉である基調講演は、作家のリンボウ先生こと林望氏。
45分に渡って、ご自身撮影の写真スライドを見せながら、例によって「イギリスではこうだ」式の家族旅行論を披瀝される。



「急ぎ足であちこち回るだけのお仕着せパック旅行ではなく、なにもしない時間を家族で持つ旅が必要だ」「ディズニーランドみたいな施設がないところにこそ行くべきだ」「ハッピーマンデーを作ってチマチマした休暇を取らせるよりも2週間ぐらいの休暇が取れるようにすべきだ」等々の主旨には共鳴するところが多いが、会場の反応はいたって冷ややか。



そりゃあそうだ。主催者はパック旅行をせっせと売っている旅行会社や観光施設。しかもリンボウ先生はご存知なかったのか、ハッピーマンデーはTIJが提唱し実現した制度なのだ。

「イギリスイギリスって、日本の事情とは違うんだからね」というひそひそ声が私の後ろの席から聞こえてきた。

こんなキャスティングをした主催者が悪いのか、リンボウ先生が主催者研究を怠ったか(知っていて敢えて挑戦的に発言したという雰囲気ではなかった)。ともかく嫌~な空気が漂った基調講演だった。

私は旅行業界の中にいる人間ではないので個人的にはリンボウ先生の考えに近いスタンスを持っているが、この場を活用してきちんと提案しようとするなら、もっと別の話し方があったんじゃないかなあ。ともかく、この話が大変参考になったと思って帰った業界人は少なかったように思う。

それに引き替え、その後のセミナーセッションの方は、遙かにインパクトがあった。

特に、じゃらんリサーチセンターの沢登次彦氏が課題提起した「ライバルは任天堂のWii。彼らは家族旅に代わる新しい家族の余暇の過ごし方をものすごく魅力的に提案した。我々にはその努力が足りない」と言う指摘には、その通り! と膝を打った。

ゲームやケータイに時間と金を費やす現代の生活者に、それでも旅の価値は失ってはいけないと気づかせることの大切さを、一生懸命参加者に訴えかけていた。

そこには「イギリスでは・・・」と先進国から学びましょう的提案をする旧世代にはない、本当に大切なものを情熱をもって自分たちで作り上げようとする若い力があることを感じた。







# by slowtravel | 2010-12-18 16:43 | トラベル・ブログ 

旅行博、今年の見所は中国!? 「その都合により」って・・・

毎年10万人を集める世界旅行博が、9月25日、26日に開催されている。

24日のプレス・関係者内覧会に行って、この看板にびっくり!




毎年最大級のスペースで出展している中国が、開催前日のドタキャンで出展中止。
もちろん理由は尖閣諸島問題。

会場に入ると、予定されていたスペースがぽっかり空いて、がらんどう状態。

来場者は、周囲の展示をさておいて、この異様な光景を一生懸命写真に撮っている。
期せずして、この空っぽ空間が、旅行博一番の人気展示になったと言うわけだ。




「旅行業界」の発展のおかげで、私たちは手軽に、安全に、様々な場所に旅行が出来るようになった。

しかし、本来「旅」というのは「出会い」「感動」「癒し」のすぐとなりに、様々な危険や誤解、予定外のことがあるものだ。

旅のプロたちの努力によって、客はそうした負の部分にあまり触れずに旅がすすめられる「仕組み」が作られているわけだが、プロが作った「仕組み」だって完璧ではないし、「仕組み」に乗りすぎると、旅のおもしろさは半減する。




未知なものとの出会いには、あこがれや興奮があると同時に、不安や危機管理のための心構えなどへの緊張感が必ずある。
両方があるから、エキサイティングなのだ。

今年の旅行博は、旅の陽と陰の両方を目の当たりに見せてくれる、まさに旅のショーケースとなった。
安易な旅に慣れすぎてしまった私たちへの、ひとつの警鐘といえるかも。

世界旅行博2010は、9月26日まで。ビッグサイトで。






# by slowtravel | 2010-09-24 23:54 | トラベル・ブログ 

タイ・トラベルトーク

12/4の夜、中目黒のトラベルカフェ「ブリス」でこんなトラベルトークをやります。

下の画像をクリックすると、大きくなります。



# by slowtravel | 2009-11-22 13:56 | トラベル・ブログ 

PART 1

1. おじさんスロー・トラベルの哲学
      ~人生の踊り場にいるあなたを、旅に誘います。     


旅とおじさん

昔から旅がひとを育ててきたのは、見知らぬ土地での異体験によって自分とは違う価値観と出会い、多様な価値観を受け入れ、自分を知り、変えていく力を持つことができるからだった。

旅によって育てられ、人生を変えていけるのは若いひとたちだけとは限らない。おじさんだって人生のひとときを旅の空の下でさすらい、迷い、悩み、さらなる自分育てをすることはできる。いや、むしろおじさんこそ、そうした機会をもっとつくるべきなのではないかと思う。

人生を変えたいなんて、恥ずかしくて言えるか

ところが、おじさんが人生を変えたいなどと思うことは恥しいことである、とあなたは考えていないだろうか。

出口の見えない時代である。できることなら人生を変えてみたいと願っているひとは日本中にあふれている。そうした思いは若いひとたちだけでなく、年齢、男女を問わずますます強くなっているようだ。

けれどそんななかで、中年男性にはちょっと戸惑いがある。いまさら人生を変えたいなんて恥しくて口にできるわけないだろう、という、いわば粋がりだ。
 
人生なかばを迎え、仕事も絶好調、家庭も安泰、油の乗りきった順風満帆のとき、というのがこれまでの中年男性のひとつのイメージだった。だから、人生を変えたいなどという思いは、弱みをさらけ出すことにつながりかねない。
 
これまでの自分の人生を否定したくない。若い連中のように、現状に不満だからといってすぐに違う人生を送りたいなんて軟弱なことを言い出すのはみっともないことだ……。
そんな思いが頭のなかをめぐり、そう簡単に人生を変えたいなんて言い出せないのが、おじさん族なのだ。

上へ

時代の声



しかし、おじさんたちの価値観を育ててきた日本というシステムそのものが大きな音を立てて崩れ落ちてきている。そんないま、人生を変えたいと率直に思うことはしごく当然のことだと思う。

そうすることによって、自分のこれまでの生き方が否定されるわけでもないし、自分の軟弱さがさらけ出されるわけでもない。あなたが変わったのではなく、時代が変わり、価値観が変わろうとしているのだ。時代が、あなたにあなたの人生を変えるよう迫っているときと言ってもいいかもしれない。

だから、人生を変えたいと思うことは、恥しいことでもなんでもなく、むしろ時代の要請、時代の声なのだ。

時代が大きく変わるときだからこそ、旅に出よう
しかし、言うは易く行うは難しだ。高度経済成長下の日本で長く経済活動を支えるために生きてきたひとに、急に意識を変えろと言っても、それは無理な話だ。急にハンドルを右から左には切れない。
 
では、どうすればいいのか? 私は、その答えを旅のなかに求めたいと思う。 

旅に出て人生のヒントをつかむ。これは、昔から行われてきた古典的な手法だ。最近は若いひとの専売特許のように言われているが、実はおじさん世代にとっても、きわめて有効な手法だと思っている。とくに、海外に旅してさまざまなことを考えることは、崩壊しつつある日本というシステムを正しくとらえるのに非常に有用なことだ。
 
けれど、旅とおじさん。このふたつは日本社会では、もっともかけ離れたものと言っていいだろう。おじさんは旅になど出かけないし、興味もあまりない。まずもって、旅に出ている時間がない。

しかし、時代の風がおじさん世代に吹いてきているのだ。

それは、リストラという風。不本意ながら会社のリストラの対象となり、突然毎日が日曜日になってしまった。あるいは企業が期待していたほど個人を守ってくれないことを知って、会社人生におさらばをした。そんなひとがいま増えている。これで、少なくとも旅に出る時間がない、という言い訳はできなくなる。

上へ

多様性の大海に乗り出せ

もちろん、ほかにもおじさんたちを旅立たせないカベはたくさんあるのだが、それはあとで考えることにしよう。ここは、一見冷たく厳しそうに見える時代の風に、まずは吹かれてみようと思うことだ。時代を逆手に取る、時代の風を自分の追い風にしてしまう、そんな発想だ。

結論から先に言えば、時代の風は日本国内では厳しい向かい風だと感じられても、海外に出れば、むしろこれから先の行く末をさし示してくれる順風であり、自分の価値観の転換をスムーズに進めてくれる追い風でもあるのだ。なぜなら、いま日本人が問われているのは、世界一の経済成長を遂げた陰でつくり上げられていった、多様性を認めない固定化された価値観にあるのだから。

経済性重視の価値観から、こころ重視の価値観へ。競争原則から、共生原則へ。時代の変化をとらえるさまざまな言い方がされている。要は時代の風向きが大きく変わってきたということだ。風向きの変化に合わせてヨットが帆の向きを変えるように、自分の身体の向きを変えてうまく風をとらえてやれば、すーっと未来という大海への航海に旅立てるはずだ。

その自分に立てる帆の役割をしてくれるのが、海外への旅なのではないかと思っているのだ。

上へ

こころの桃源郷を求めて



アジアの片隅に、ポカラという小さな町がある。実はここ数年、この町をたくさんの日本人旅行者がひそかに(?)訪れているというのだ。日本人だけでなく欧米人旅行者もここをめざしてたくさんやってきているという。

それはいったいどんな町なのか、ひとびとはなぜ、そこに行くのか。

私はあるジャーナリストからこの町のことを聞き、さっそく行ってみた。 

ポカラ。なんとおおらかでのんびりとした響きを持った名前だろう。ネパールにある、八千メートル級の山々を間近に望む名前のイメージ通りの静かな美しい町、それがポカラだ。

昔からヒマラヤ登山の基地でもあった町だから、登山家の間ではその名を知られたところだったが、最近ここを訪れる旅行者は登山家とはちょっと様子が違う。学生からお年寄りまで年齢の幅は広く、数週間から数カ月という長期にわたって滞在していくのだ。

ペワ湖という大きな湖のほとりに広がる町の一角に、二百軒以上の外国人向けのホテルが建ち並び、それこそ世界中の料理が食べられるレストランが軒を連ねている。ダムサイドと呼ばれる地区にはとくに日本人が宿泊するホテルが多く、日本食を出すレストランが何軒もあった。

上へ

ポカラに集まる日本人旅行者

ほとんど村と言ってもいいほど静かなその町で、地元のひとびとに混じって何人もの日本人とすれ違うのは不思議な光景だった。たとえば、ハワイのワイキキ海岸にでも行けば何百人もの日本人に会うことができる。しかし、ポカラの日本人たちは団体で来ているわけではなく、ほぼ全員が個人旅行者だ。ポカラ行のツアーの募集など見たこともないから、ここには個人で来るしかないのだ。

アジアをはじめ世界中に、いわゆる旅人街といわれる個人旅行者の集まる地区があるが、ここポカラほど日本人の密度の高い町は見たことがない。

日本ではほとんど知られていないこの町に、こんなにたくさんの日本人旅行者がいるだけでも驚きだが、それだけでなく、彼らのそこでの過ごし方にもびっくりしてしまう。

ここで彼らがどのように過ごしているかというと、なにをするというわけでもない。ヨーロッパ並みのおいしいパンが食べられるベーカリーでゆっくりと朝食をとり、湖にボートを浮かべて漂ってみたり、たまに周辺の山にトレッキングに出かけたり、ともかくこれまでの日本人の海外旅行の行動パターンとはまったく違った過ごし方をしているのだ。

ある三十歳代の男性は、二週間の予定で来たけれどついつい二カ月になってしまったとと言った。また、二カ月のビザが切れるたびに日本に帰国してはまたやってくるということを、何度も繰り返している五十歳代の男性もいた。

いわゆる高原リゾートにイメージは近いのだが、ここには欧米や日本の大資本の進出はあまり見られない。こじんまりした地元のホテルが点在し、ネパール人やチベット人が外国人相手に開く土産物屋やレストラン、旅行代理店、インターネット屋などが雑然と並んでいるだけだ。

そのすぐ傍らには地元のひとたちの素朴な生活があり、牛が大きな顔をしてのんびり通りを歩いている。

上へ

背負ってきた荷物を下ろす



こんな一風変わった町に、なぜ世界中からたくさんの旅行者が集まってくるのだろうか。けっして交通の便がいいとは言えないヒマラヤのふもとのこの町の、なにがここまでひとびとを引きつけるのだろうか。

あなたなら、その答えはすでにこころのなかのどこかにきっとあるはずだ。自分のこころのなかにぽっかり開いた穴をふさいでくれそうな予感、懸命に走ってきたなかで置き去りにしてきたものが見つかる予感、あるいは君は君らしく生きればそれでいいじゃないかと天の声がやさしくささやいてくれそうな予感……。

とにかく、はるばるヒマラヤの山奥まで運んできた重い荷物、自分が何十年も背負ってきた重荷をゆっくりと下ろしてくつろがせてくれるなにかがここにある。訪れたひとならだれでもそう感じる不思議な魅力をこの町は持っているのだ。


上へ HOME

# by slowtravel | 2008-01-01 23:58 | スロー・トラベル哲学 

PART 2

2. おじさん旅はこんなにおもしろい
     ~ちょっと長いですが、おもしろエピソードを紹介。


中国・大理の日本食堂



まもなく中国暦の正月、春節を迎えようとする冬のある日、中国雲南省大理のある食堂に日本人旅行者が十人ほど集まっていた。

雲南省の省都昆明から長距離バスで十時間ほどの、城壁に囲まれた古都、それが大理だ。大理石という名前はここがこの石の産地であることからつけられたのだという。

中国人や香港、台湾のひとにとってここは有名な観光地となっているが、世界中の長期旅行者にとっても、風光明媚でのんびりとくつろげる旅のオアシスのような街として人気が高い。 

旅行者が多く集まる一角にその食堂はある。「菊屋」という屋号は店の経営者である美人姉妹のお姉さんのほう、麗菊さんの名前から日本人客がつけた。みんなは彼女のことを菊ちゃんと呼んでいる。最初はふつうの食堂だったらしいが、次第に日本人旅行者のたまり場のようになって、それならとメニューも天丼、ハンバーグ定食など日本食中心にし、ついには名前も日本風に変えてしまったといういきさつらしい。

ほかの都市にある日本食レストランとの違いは、現地に住む日本人を相手にしているのではなく長期の旅行者ばかりを相手にしている点だ。大理に住む日本人は、旅行者の沈没組を除いてほとんどいないからだ。


世界を駆ける男

この日は、すき焼きパーティーをやるというので、大理に滞在中の常連たちが集まってきていた。幹事役は中国に留学経験を持つ大阪弁の若い男性。達者な中国語で菊ちゃんに指示を与えながら楽しそうにすき焼きの準備がはじまっていた。数人の若い旅行者たちに混じって、三人のおじさん旅行者もいた。

日本人旅行者の間の人間関係というのはなかなかおもしろい。出会った最初のうちは、その街に先に着いたひとが上位に立つ。街の事情にくわしい者が上、新参者が下というわけだ。そのうち、どれくらい長期の旅をしているか、旅の経験は豊富かで次第に序列が決まってくる。年齢や日本での社会的地位はまったく関係ない。旅のキャリアこそが尊敬を集める世界だ。

この日一番の尊敬を集めていたのは、もう四年以上も旅行を続けている男性だった。

 三十代半ば、おじさんと呼ぶには少し早いこの男性は、自分のことをカルロスと紹介した。長髪で浅黒く彫りの深い顔立ちは、話をしなければ日本人とは気がつかない国籍不明の雰囲気を漂わせている。南九州の出身で、大学を卒業後薬品メーカーのプロパーを長くしていたが、ついに仕事を辞める決心をする。

「五日から七日の旅行を繰り返していたけど、高くついてしかたがない。正月しか休みが取れないからバンコク往復で十八万円も払ったこともあったよ。給料のほとんどが旅行で消えてしまう。これじゃあなんのために働いているかわからない。自分のやりたいことはなんだろうと考えて、会社を辞めることにした」

四年間で南北アメリカ、アジア・ヨーロッパ、アフリカと四つの大陸をまわった。あと二~三年かけてアジアの残りとオセアニアをまわるつもりだという。

「スイスである女性に本気で惚れてしまって。半年、いっしょに暮らしたよ。向こうの両親も気に入ってくれた。で、日本の親に手紙で結婚しようと思ってると伝えたんだけど、親は猛反対。九州の田舎で暮らす古風な親だから、金髪の嫁なんか考えられなかったんだね。しばらく悩んだんだけど、別れることにした。自分、旅をしている男だからね。別れるにあたってはいろいろ修羅場があった。で、アフリカへ。アフリカは傷心旅行だったね」

若い旅行者たちは引き込まれるようにカルロスの話に聞き入っていた。


仏教遺跡で出会った聖女



それから二週間後、菊屋でいっしょだったカルロスと偶然バンコクのカオサン通りで出会った。

これからミャンマーに入るというカルロスに、それならと、私は二年前に出会った少女のこんな話をした。

ミャンマーに世界三大仏教遺跡のひとつであるパガンの遺跡がある。二千とも三千ともいわれるたくさんの寺院やパゴダのなかで、一番美しく壮大な寺院がアーナンダ寺院という寺院だ。シンデレラ城のような華麗な装飾がなんともみごとで、私は毎日のようにここに通った。

毎日通ったのには別の理由もあって、ここの西側ゲートから入ったところに小さな献花用の花屋があり、そこに聖女のような美しい十四歳の女の子がいたからだった。

ミミカインという名のその少女はカタコトの日本語を話した。日本人旅行者から習ったという。ここを訪れた日本人旅行者のなかには彼女を知っているひとも多いはずだ。

まだ少女のあどけなさを残しながら、穏やかにひとを見射るまなざしにおじさんであることを忘れてどぎまぎしてしまうような、そんな少女だった。
ミャンマーの女性がだれでもするようにタナカと呼ばれるおしろい粉を目の下に塗っているのが年齢以上に落ち着いた印象をつくっているのかもしれない。静かに優しく微笑みながらぽつぽつと日本語で会話をしていると、観音菩薩像から慈悲を授かっているかのようにのような安らかさを感じるのだ。

いよいよパガンをたつという日、アーナンダの彼女の店を訪ねると、ミミカインは家に戻って取ってくるものがあるからちょっと待ってて、と言って走って寺院を出ていった。しばらくして戻ってくると、彼女がつくったという蝶々のブローチと、日本に帰ったら投函してほしいという一通の手紙を私に手渡した。

手紙は関西に住む男性あてのものだった。

帰国後、私は約束通り切手を貼って投函してあげた。

それから数カ月して、ミミカインから私に手紙が届いた。表には日本の切手が貼ってあり、日本国内で投函されたものらしかった。手紙には日本語混じりの英語で、毎日あなたのことを思い出している、家が貧しいので文房具と小さな財布を送ってください、と書いてあった。

私はふーっとため息をついた。きっと、私が彼女から預かり日本で投函してあげた手紙にも同じようなことが書いてあったのだと思う。


美女に会いにミャンマーへ

「この一件、君ならどう思う?」

一通りの話をすませて、私はカルロスにそう聞いてみた。

彼女は十四歳にして、自分の美貌に商品価値があることに気づき、日本語を一生懸命覚え、せっせと日本人あてに手紙を書いているのかもしれない。しかし、ミャンマーのひとびとの貧しさを目の前で見たとき、だれも彼女の行為を責められない。貧困と、生きるたくましさと、それでも誇り高く保っている人間性。ミャンマーのいまが抱えている問題点とよさの両方を象徴しているのではないかと私は思ったのだ。

「自分、その少女に会ってみたくなりました。探してみますよ。彼女がどんな女性で、なぜそんな手紙を出しているのか、調べてみますよ」

カルロスはそう答えてくれた。

それから数カ月のこと。帰国した私の元にカルロスから一通の長い手紙が届いた。バンコクから投函されたものだった。

私はその手紙をわくわくする気持ちで読み進んだ。


パガンからの手紙

前略、その後いかがお過ごしでしょうか。自分は、いまミャンマーからバンコクに戻ってきたところです。

貴兄との約束通りパガンを訪れ、ミミカインという少女の消息を当たってみました。

結果から先に書きましょう。ミミカインに逢えました。

ヤンゴンとマンダレーでしばらく過ごしたあとパガンに向かい、さっそくアーナンダ寺院に行ってみたのですが、貴兄から聞いた西ゲートにも、ほかのゲートにもそれらしき花屋は見かけられませんでした。

ゲートの近くにいたおばさんにたずねてみました。自分の友人が二年前にこの地を訪ね、ある少女と出会い、楽しい時間を過ごした。彼は少女の聖女のような美しさに感銘を受けた。そのときの思い出はいまなお美しく彼のこころに残っている。けれども、少女の消息がその後わからなくなった。彼は再びミャンマーに来たがっているが仕事が忙しくて来られない。代わりに自分がやって来た。そんなことを説明しました。

名前はミミカインだというと、ミミカンではないかと言います。

ミミカインという娘はいない。そのかわりミミカン、ミミケン、ミミコンという三人の娘ならいる、と言うのです。年齢は三人とも十五~十六歳だといいますから、二年前に十四歳だったという条件には三人とも当てはまってしまいます。

こうなったらひとりずつ全員に会ってみよう。そう思っていると、おばさんは
『あなた、どこから来たの』
と聞いてきました。

『僕は日本人ですよ』
『あなた日本人だったの。それなら簡単よ。その少女はミミカンです。絶対間違いありません。呼んできてあげるからここで待っていなさい』


ミミカインとの出会い


ミャンマーの女性はほほにタナカと呼ばれる白粉をつける。
※写真の女性はミミカインではありません。


あまりにあっけなくその少女に会えることになり少々拍子抜けした感じでしたが、待っているあいだ、僕のこころは高鳴りました。貴兄は、これまで見たどんな女性よりも美しくまるで聖女のようだと表現した。いったいどんな少女なんだろう。期待で胸が張り裂けそうでした。そして、なぜ僕が日本人だと明かしただけでおばさんは、それならミミカンです、と断定できたんだろう。

そんなことを考えていると、ひとりの少女が僕の目の前に現れました。その少女を見たとたん、僕ははっと息を呑みました。これが、この少女が、荒木さんの言っていた少女だったのか……。

相手に確認する必要は感じませんでした。これまで見たどんな女性よりも美しくまるで聖女のようだという表現通りの少女がそこにいたからです。

『私がミミカンです』
彼女は自分のほうから日本語で自己紹介をしました。私はことのいきさつを説明しました。

驚いたのはミミカンが日本語を結構話すということでした。日本語を教えているところがあるのかとたずねると、日本の友人が英和辞典を送ってくれたので、それで自分で勉強をしていると説明してくれました。

そしてミミカンは貴兄のことを覚えていました。

『明日のランチをごちそうしましょう』
その言葉に甘えて、あくる日彼女の家に招待され、彼女が自分でつくったという昼食をごちそうになりました。

『アラキもうちでごはんを食べていった』
彼女はそう言いました。

『失礼だが、君は本当にアラキのことを覚えているのかね? だれかほかの日本人と勘違いしているんじゃないのかね? 彼は四十歳を過ぎたおじさんなんだよ。そうだ、君のお父さんとおない年だと君は言ったそうだよ』
『間違いありません。私はアラキを覚えています』
『それを聞いたらアラキはきっと喜ぶよ。君がそう言ったと伝えておくよ』

彼女のつくってくれた食事はとてもおいしかったのですが、不思議だったのは家族のだれひとりとしてテーブルにつこうとしなかったことです。何度いっしょに食べようと誘ってもダメでした。ミミカン本人ですら、給仕をするだけでけっして食べようとはしませんでした。これがミャンマー式の客のもてなしかたなのでしょうか。それとも……。

その夜、彼女は僕の宿を訪ねてきて『おみやげです』といって彼女が自分でつくったという蝶々の形をしたバッジを五つ手渡してくれました。お返しに僕は店で買ったビスケットとジュースを渡し、別れました。


旅はロマンチックがいい

以上がパガンでのことの顛末です。

自分の東南アジアの旅はまだ半分も終わっていませんが、パガンはそのなかのハイライトであったように思います。行ったことのない国の行ったことのない村で、会ったこともないひとりの若い女性(少々若すぎましたが)を探し出す。なんとロマンチックなことでしょう。しかも女性は美しいときている!!

バンコクで貴兄から話を聞いたときにはこれほどのハイライトになるとは思ってもいなかったのですが、ミャンマー入りした直後から、この素晴らしいプランに僕の胸は踊り、血はたぎり、鼻息荒く燃えていました。
 彼女に逢うまでのあいだ、僕は自分で勝手にあれこれと想像し、胸をときめかせていました。三十を過ぎた男がなにを言っておるのだ、十代の少年じゃあるまいし、と思われるかもしれませんが、まあそれもいいではありませんか。

それに旅にロマンチックはあったほうがいいに決まっています。こういう素晴らしいチャンスを与えてくださったことに感謝しています。おかげでひと味もふた味も違うミャンマーの旅になりました。

さて自分は、もうしばらく東南アジアの旅を続けたあと、オセアニアへと南下していきます。帰国はまだ当分先になりそうです。御縁があればまたどこかの国でお会いしましょう。
                               バンコクにて、カルロス


旅のつわものと少年のこころ

手紙には、数枚の写真と蝶々のバッジが同封されていた。バッジは私がパガンで彼女からもらったものと同じだった。写真には、目鼻立ちのはっきりした美しい女性が写っていた。すっかり成長し、ふくよかになったミミカンは私の記憶のなかのミミカインとは別人のように見えたが、日本語を話すことといい、蝶々のバッジといい、紛れもなくミミカンは私が出会ったミミカインと同一人物に違いなかった。

二年前の写真と送られてきた写真を見比べ、私は感嘆するしかなかった。この二年間の彼女の変貌ぶりには舌を巻くばかりである。そのスピードはアジアの変貌の早さそのままだ。

それに比べて、日本や自分自身の停滞ぶりやいかに……などと、そこまで大げさな結論にもっていくような話ではない。ひとりのアジアの少女をめぐってふたりのおじさんが少年のようにこころ躍らせたという、それだけのたわいのない話ではある。

しかし、カルロスのせりふを借りれば、まあそれもいいではないか。

旅の途中ですれ違った男が語ったちょっとした話のその後を、カルロスがここまで大まじめにロマンチックに展開してくれた。ひとりのアジアの少女の存在がいかにハート・ウォーミング・ストーリーとしておじさんのこころに温かいものを残したか、その体験を共有できたことにこそ意味があったのである。

カルロスは四年以上にわたって五大陸を股にかけて旅をするつわ者である。いくつもの修羅場をくぐってきた旅の経歴は、その精悍な顔にしっかりと刻み込まれている。若い旅の初心者から見れば、畏怖の念さえ感じてしまうほどの形相と経験の持ち主だ。そのカルロスにして、このロマンティシズムである。この少年のような素直な感動表現である。
 

地球という原っぱで遊ぶオールドボーイたち

仕事を捨てて長期の旅に出る男たちに、一般のひとびとはどんな先入観を持つだろうか。社会に適合できない落伍者。ろくに仕事も続けられない怠け者。危険な思想を持った要注意人物。しかし、私が出会った旅のプロたちはおしなべてカルロスと同じようにロマンチストだった。旅のロマンを大切にし楽しんでいた。おじさんになっても少年のような目の輝きを持った男たちだったのだ。トム・ソウヤーが嬉々として冒険を楽しむように、地球という原っぱで日が暮れるまで宝探しをするオールドボーイたちなのだ。

もちろん残念ながらすべての旅行者がそうだというわけではない。自由旅行への垣根が低くなっただけ、いろいろな種類の人間が旅をしている。なかには同じ旅仲間を騙して生計を立てているようなやからもいる。御法度の品に手を出し、身も心もボロボロにしてしまっているひともいないわけではない。

しかし、そんな彼らだって、はじめての旅に出かけるときはときめき、胸躍る思いを持って旅立ったに違いない。そして、旅の魅力にはまり、旅を人生における第一優先とする決意をして仕事を辞めてしまったひとたちの多くは、いまでもそんな旅のロマンのなかに生きているひとたちなのだ。

旅の経験を持たないけれど旅への思いを募らせはじめたあなたと、仕事を辞めてしまい長期の旅に出るひととのあいだに、思ったほどのへだたりは、実はない。百戦錬磨の旅のプロだろうと、いや、プロだからこそ、旅への思いは熱い。ささいな発見にわくわくしたり、見知らぬ土地に期待と不安を持つ。旅の初心者もプロも同じなのだ。

だからこそ、たとえあなたが年に一~二回の旅をするパートタイムの旅人であったとしても、彼ら先輩たちと旅の楽しさをを共有することはできるし、彼らから旅のノウハウを学んでいくこともできるのだ。



# by slowtravel | 2008-01-01 23:57 | おじさん旅はこんなに面白い 

PART 3

3. おじさん一人旅を分析する
    ~おじさん旅にもいろんなタイプがあります。



おじさん旅行者はたしかに存在した

アジアを旅行している中年男性はいくつかのパターンに分類することができる。

有給トラベラー
ロングトラベラー
フリーター旅行者
業界トラベラー



①有給トラベラー

一番多いのが有給休暇を利用してみじかい旅を繰り返す旅好きの会社員。一斉休業と有給を組み合わせてやりくりするので、どうしても正月前後と夏休みという比較的休みの取りやすい時期に集中して旅に出ることになる。それ以外の時期には数が激減するのがこのタイプの旅行者の特徴だ。

ただし、学校の先生と銀行員は例外で、春夏冬の長期休暇を利用したり、銀行では金融庁の検査が入る時期に強制的に二週間の休暇を取らされる制度があるとかで、業界ではショルダーシーズンと呼ばれる比較的空いている時期に旅をしているのをよく見かける。

このようなみじかい旅を繰り返す旅行者を、有給トラベラー、またはパートタイムトラベラーとここでは呼んでおこう。


②ロングトラベラー

二番目は、時間の制約のないひと、あるいはなくなったひと。長期の旅をしたくて仕事を辞めてしまったひと、会社のリストラ対象者となって失業保険受給者となったひと、転職のために前の会社を辞め、次の会社に移るまでの期間を利用して旅に出るというひとなど状況はさまざまだ。いずれも人生の転機となる一時期を旅の空の下で過ごすことにしたひとたちだ。この本では彼らをロングトラベラーと呼ぶことにする。


③フリーター旅行者

三番目は、はじめから定職を持たないひと。学生時代からフリーターをやっては旅費をつくり旅行に出る、金が底をつくと日本に帰ってまた働く、というパターンを繰り返すひと。古くは小田実の時代からの古典的な生き方でもある。

金の稼ぎ方は、昔はアメリカで皿洗いというのが定番だったが、日本が世界一の経済大国となってからは、国内の自動車工場の季節工というのが大勢を占めてきた。そのときどきの国力に応じた棲み分けを、旅行者も抜け目なくやっているというわけだ。ただし、その自動車業界も不調のいま、フリーター旅行者は厳しい状況に置かれている。

ただ年齢的にも三十代後半が限界で、そのあとは沈没にいたる可能性がもっとも高いタイプと言える。それを乗り越えて現地で定職を持ったり事業を興して成功したりするひともいる。

また、完全に旅を生き方にしてしまったひともこの分類に入る。十数年も旅行を続け日本に帰る予定のないひとに出会ったこともある。お金をどうしているのか不思議だが、そういうひとに限ってお金のことは絶対にしゃべらない。


④業界トラベラー

第四のグループとして、企業から赴任した現地駐在員が任地国内を旅行しているケースや、留学生・研究者として滞在中に休暇旅行をしているひとにも結構出会うが、これらはおじさん旅行者の例外としておこう。
 もうひとつの例外は、職業としての長期旅行をしているひと。一般のひとには想像もつかない世界かもしれないが、貿易業者とマスコミ関係者である。といっても商社やテレビ局の社員ではない。

貿易業者のほうはいわゆるエスニック雑貨の輸入業者。個人旅行者から輸入雑貨商になったひとも多く、アジア各地を歩き回っては気にいった雑貨を仕入れ、日本国内の自分の店で売ったり卸をしたりするのである。自分の商売人としての勘と度胸、そして足で情報を集める忍耐力が勝負の、一匹狼の世界だ。地球を股にかける国際版フーテンの寅さんといったところか。

寅さんほど義理人情に厚いかどうかはわからないが、並外れておもしろいひとが多いことはたしかだ。通常は一般の旅行者と同じ観光ビザで出入国するから、仕入れをした大量の荷物を抱えての通関はいつもトラブルが絶えない。そんな裏話や商売のコツをなんでも話してくれる。

仕入れ先といっても特別なルートがあることは少ない。ふつうの観光客が買い物をする土産品店などが意外に多い。英語も現地語もできないひとも多い。そんなことで商売ができるのかと思うほどだが、ちゃんと商売になっている。

なんのことはない、物価の格差を利用した運び屋稼業といってもいいくらいだが、そこはそれ、蛇の道はヘビ。素人にもできそうだからと手を出すとたいてい失敗する。商売で旅ができるからやってるようなもんだよ、とは雑貨商のひとがよく口にする言葉だ。

マスコミ関係者のほうは、辺地や戦場を専門にするカメラマンやジャーナリスト、トラベルライターを自称するひとたち。ただし素人とプロの境界は定かではない。プロとしてそれだけで食っていけているひとはほとんどいないからである。

しかし、同じ安宿でいっしょに焼きそばをかき込んでいた無精ひげの男が結構いい仕事をすることで有名なカメラマンだった、というようなことは起こり得ないことではない。かなり著名なカメラマンでも取材費は少なく、情報収集のためにも長期旅行者が利用するような安宿に泊まっているケースは多い。

大手マスコミの取材はともかく、アジアの現実を伝える貴重な報道取材が実は危険補償もなにもないきわめてお粗末な条件の下で、フリージャーナリストたちの熱意と努力だけを頼りに行われている現実を、すぐ目の前で見ることができる。

いずれにしても個人貿易商もフリージャーナリストも、ふだんはまったく一介の旅行者である。であるがゆえに、宿のロビーなどで実に興味深い話を聞くチャンスにも恵まれたりするのだ。旅の経験豊富な彼らは、旅のテクニックでも、また生き方の面でもたいへん魅力的に見えるはずだ。



# by slowtravel | 2008-01-01 23:56 | おじさん一人旅を分析する 

PART 4

4.実践例を紹介しよう     
~アジアで出会ったおじさん旅行者の素顔。


ここでは、ふたりの例を紹介します。


旅先で日本人と話すことが楽しい  
~住宅セールスマン Yさん~




住宅販売会社の営業マンYさんは過去にインドやヨーロッパなどを旅行したことがあり、今回は四回目のひとり旅。カンボジアのアンコールワットを中心に一週間旅してあす日本に帰るところだという。

営業成績は支店のトップ。営業の仕事は自分に合っていて楽しいという。それでも先輩社員を見ていると、五年後十年後の自分が見えてしまうようでやりきれなさを感じてしまう。

「閉塞感って言うんですかね。どこにも未来が開けていないということをときどき感じるんです。でもまわりのみんなはそれでいいと思い込んでいます。営業成績を上げて、昇進して給料も上げていく。それがいい人生だと。それじゃあねえ」

支店長には可愛がられている。しかし、自分はああはなりたくない。関心があるのは仕事だけという人生じゃあつまらない。

「旅行に出るとたくさんのひとと知り合えます。業種の違うひと、年齢も若いひとから人生の大先輩まで。みんな会社にはひとりもいないタイプの人間ばかりなんですよ。今回もアンコールワットのあるシェムリアップの街でたくさんの日本人と知り合いました。現地ではたった三日間ですけど、日本ではこんなに充実した時間を持つことはできませんからね」

旅先で、現地のひととではなく同じ日本人同士で知り合いになっていく。これが最近の旅行者の傾向でもある。

ふつうの感覚では、せっかく海外に旅行しているのだからできれば現地の友人をたくさんつくりたいと思うのが当然である。。旅行記などを読むと、思いがけない土地のひととの出会いがあり、家に招かれたりごちそうになったりといった話が満載されている。外国に行きさえすればだれにでもそんなシンデレラボーイ、シンデレラガールの物語がはじまるという幻想を抱くのは無理もないところだ。

現実にはどうか。そうした話が皆無ではないが、どこにでも転がっている話ではない。言葉の問題もあるし、なによりもみじかい時間であちこち歩き回る日本人の旅のスタイルのなかで、じっくりと地元のひとと親交を深めるなどということはそう簡単なことではない。

むしろ、現地のひととうわべだけの友人関係をつくってアジア通を気取るよりも、せっかく貴重な時間と金を投入して旅をしているのだから、日頃出会えないひとと出会い、日本語で深い話までし、日常のこころの引っかかりを取ったり新しいヒントを得たりするほうが、はるかに健全な旅ではないかと私は思う。

旅の目的のひとつにひととの出会いを挙げるひとは多い。しかも、同じ日本人旅行者との出会いを。これは、ある意味で、日本人の旅の成熟の証であると私は考えている。

自分のためにならないことのために、ひとは貴重な時間と金を費やさない。旅でしか手に入らないものを自分で見つけるのだ。それが、日本では体験できない同じ日本人との濃密な人間関係だったとしても、驚くには当たらないと言える。

むしろ驚くべきは、もはや日本ではそんな話をじっくりとできる人間関係も時間もなくなってしまっているという事実だ。

「閉塞感」という言葉は、何人もの旅行者から発せられた言葉だった。若いひとから中年まで、一様にいまの時代の閉塞感を感じている。息がつまるような状態。出口の見つからない状態。どいしていいか解決の糸口が見出せない状態。そんな時代を包む大気のなかで、旅人たちは旅を続けているのだ。

近しい友人と話しても、親しい同僚や先輩と話しても、同じ環境のなかで生活しほぼ共通の価値観を持った者同士の会話では、そんな閉塞状態を突き破るビジョンなど出てこない。

「日本に帰っても、旅で知り合ったひとと会って話をするのが一番の楽しみなんです」

バンコクでそう語ってくれたYさんは、その後勤めていた住宅販売会社を辞め、二カ月間インドから中東を旅し、ふたたび日本に戻っていまは広告会社の中堅営業マンとして仕事している。職業を変えるというのは、人生のなかでも大きな選択だ。その大仕事を彼は旅によって成し遂げたわけだ。



「アジアの台所をのぞく旅」
   ~大手食品メーカー副部長 Tさん~




バンコク、カオサン。大通りから数分離れた通りに、カフェにはさまれるようにして一軒の本屋がある。タイ語だけでなく英語の本も並ぶこの本屋で、Tさんは香辛料の本を探していた。レジをすませたところを見はからって声をかけた。

四十九歳で名前を聞けばだれだって知っている食品会社の副部長さんだという。近くのカフェに河岸を移してビールを飲みながら話をすることにした。

「日本の方と話をするのがなんだか久しぶりのような気がしますね。といっても、十日ほど話してないだけですけれど」

七三にきちんと分けて刈り込んださっぱりした頭は、ビジネス戦士というにふさわしい風貌だ。

三十代に東南アジアで駐在員生活をして以来、アジアの食材や香辛料に興味を持つようになった。直接仕事と結びついているわけではないが、以降年に一~二度、休みを取ってはマレーシア、インド、スリランカとまわって食材を集めたり調べたりしているという。今回はタイのイサンと呼ばれる東北地方の田舎を十日かけてまわってきた。

「ふらっと地元の家に入り込んで、台所を見せてもらったりするんです。日本じゃとてもそんなことをする度胸はないんですけど、アジアではできるんですね。みんな優しくて、香辛料の名前や使い方を教えてくれて、それが自生している所まで連れていってくれたりするんですよ」

旅行中は日本人とはほとんど接触を持たない。旅の終わりに立ち寄ったバンコクでも、もちろんカオサンに宿をとっているわけではなかった。あとでTさんの紹介で私も泊まることになった宿は、サイアムスクエアの近く、国立競技場の北に広がる住宅地のなかのこじんまりした外国人向け下宿屋のようなところだった。

 「日本人を避けているわけではないですが、私のような一風変わった目的で旅行をする人間には一般的な旅行情報なんて必要ありませんからね。ガイドブックも持って歩きません。それでもこちらに必要な情報は向こうからやってくるんですよ。あの本屋のことも宿の娘さんの知り合いがタマサット大学の学生で、そのひとから聞いたんです」

必要な情報は向こうからやってくる、と言い切れるほどになったら、旅人としても一流だ。

「もしチャンスがあれば、タイかインドネシアの大学に留学するのもいいなと思います。時間を自由に使ってあちこち調べに行けたら楽しそうですからね。まだまだ行きたいところがいっぱいあるんですよ。でもたぶん、会社、辞めませんね。会社の仕事は、それはそれでやりがいがありますから。結構楽しくやってますよ。実績を積んできているし、キャリアとネットワークは自分の財産ですからね」

あさってからは日本で仕事だ。

「最近、旅の疲れが仕事に戻ってから出るようになっちゃって。年かな。なにしろみじかい休みにスケジュールを詰め込まざるを得ないので、体力的には少しきついんですよ。もう少しゆっくり旅できると精神的にも体力的にもいいんですけれどね。次の旅はまた半年後ですね。それを楽しみに、仕事、がんばりますよ」

# by slowtravel | 2008-01-01 23:55 | 実践例を紹介しよう 

PART 5

5.おじさん旅はこうあるべし
~ひとり旅の心得です。

        
ひとり旅こそ、おじさんの旅の原点だ
  ~ひとり旅かツアーか~




まずは、ひとり旅かパッケージツアーを利用するかということを考えてみたい。

一週間以下というタイトなスケジュールのなかで効率のいい旅をしようとしたら、個人手配の旅行よりも包括旅行と呼ばれるパックツアーのほうがはるかに便利だ。旅行費用という点でも、同じ内容の旅行ならパックツアーのほうが安上がりになることが多い。

アジアのうわべだけ楽しもうとしたら、それで充分だ。結構楽しく充実したバカンスが送れるだろう。

しかし、である。われわれの究極の目的はこころの赴くままに自由自在に遊び、こころを開放し、あわよくば人生に好転機をもたらすような旅をしたいというたくらみである。

そうなると、商品としてりっぱにつくり上げられたものを消費者として購入するというのは、ちょっとイメージに合わない。業者の手によって演出された安手の異文化体験や自然との出会いに乗ってしまうのもしっくりこない。つくられ演出されたものではなく、あるがままのアジアの魅力というものに触れてこそ、おじさん旅の意味はある。

そんな旅の目的からすれば、どうしてもパッケージツアーではなく、ひとり旅という選択になってくるのだ。

企画力の優れた旅行会社が主催するいいパッケージツアーもある。ツアー仲間で親しくなり、帰国後もつき合えるいい友人ができることもある。パッケージツアーを100パーセント否定するわけではない。

しかし、初回はツアーで旅しても、二回目三回目には個人で出かけるようになったというひとはかなり多い。一度個人自由旅行の味をしめると、おそらくパック旅行に戻れないだろう。苦労もあるぶんおもしろさは倍加する。危険も多いが自分で責任を取っていけばいいのである。

ちょうど護送船団よろしく安全ではあるがビジョンがない日本株式会社の幻想が崩れ去ろうとしているさなかである。寄らば大樹と思っていた大樹がまさに倒れんとしているときだ。自分の身は自分で守るという当たり前のことを、旅の空で実践練習してみるにもいまがいい機会なのではないだろうか。

おじさんがひとりアジアの喧噪に、あるいは大地に、はたまた深い密林に孤高の身を置く。そんなイメージが頭に浮かんでしまったら、もうあなたは恥しくって団体観光バスになんか乗っていられないだろう。


金はある。しかし、使わぬ。
     ~お金の使い方~


ひとり旅というスタイルが決まったら、次はお金である。

金の使い方という点では、アメリカやヨーロッパの旅行者が一番だ。とくにヨーロッパの旅行者を見ると旅の文化に一日の長を感じる。日本人とは比べものにならない旅の歴史がある。国を挙げて若者の旅を勧め、学校でも教育をしているドイツを筆頭に、若者に旅を積極的にさせようとする風潮がそもそもヨーロッパにはあるようだ。

親やそのまた親の代から旅のノウハウを蓄積してきた彼らにとって、日本人のような旅での金の使い方は理解できないことなのだろう。

彼らヨーロッパのひとには、いまだに旅は人生修行の場であるという意識が根底に残っているのだろう。レジャーではなくスタディだ。そこが日本人団体客との違いかもしれない。

 しかし、そろそろ団体で騒ぎに行く旅も考えなおすときではある。旅で憂さを晴らす、その憂さの種類が昔とは違ったきたのだから。経済がいけいけドンドンのときと違って「ぱーっと晴らしてまたがんばりましょう」というような憂さではないのだ。もうちょっと深い憂さをみんなが抱えてしまったのだ。

スタディとまでは言わないが、金で安直に憂さを晴らそうとしても、きっとそう簡単に晴らせるものではない。現代の憂さを晴らすにはこころを充足させること、感動することしかない。その感動のためになら金を使うべきだ。旅行会社の口車に乗せられて、意味もないところに金を使うのはもういい加減やめにしたいものだ。

金の使い方は、そのひとの生き方である。いい旅に金を使えるひとはいい生き方をしているひとなのだ。



「立ち止まる時間」を旅に求めたい
      ~時間の使い方~




なぜ旅に出るのか、と言えば詰まるところはいい時間を持つためである。

こころから楽しめたり、いい見聞をしたり、ひとと出会ったり、のんびりしたりと、日常の生活にない濃い時間を持てるのが旅である。

ではおじさんにふさわしい時間の持ち方とはどういうことだろうか。

私は、立ち止まる時間こそ、旅のなかでもっとも貴重で思い出深い時間の持ち方だと考えている。

そう、ふと立ち止まる。旅のなかのいろいろなシーンを思い返しても、鮮やかな思い出として残っているのはたいてい時間の停止した風景だ。大地に沈む夕陽だったり、小舟でメコン川を漂っている時間だったり、道ばたでタバコをくゆらす老人だったり。

そんな、立ち止まる時間を多く持つには、なるべくスケジュールはフレキシブルにしておいた方がいい。スケジュール通りの旅を忠実にこなしてもだれもほめてくれるわけではない。満足感があるとしたら、自分のスケジュール管理の能力を再確認できることくらいだ。

みじかい旅程ではスケジュールは大切な要素であるが、あまり詰め込みすぎないことだ。

若いひとの旅は、なんでもかんでも見て体験するのがいいと思う。どんなことでも血となり肉となるのだ。しかしおじさんの旅は少し違う。少なからず人生経験があるのだから、自分の関心や興味があることに的を絞ったほうがいい。のんびりしたいというのならそれもよし、市場を見て歩きたいのならそれもよし、である。がむしゃらになにかを得ようとしないことである。

旅の体験を血とし肉とするのではなく、むしろ贅肉をそぎ落とし、足腰にかかる負担を軽くすることにこそ旅の意義があるのではないだろうか。頭やこころにこびりついたコレステロールを洗い流し、頭脳のフットワークを軽くするのだ。


旅は引き算 
   ~人生から削れるものは何か~




おじさんにとって旅はどうあるべきか。その答えは、まとめると「引き算」にある。

過剰なサービス満載の団体旅行から、自由だが自己責任が求められる個人旅行へ。金満旅行から、金はあるが使わないというポリシーを持った旅へ。そしてがむしゃらに歩き回り吸収する旅から、ふと立ち止まり贅肉をそぎ落としていく旅へ。

つまりは、不要なものをどんどん引き去っていくことがおじさんの旅にも、おじさん自身にも必要なことなのだ。そして、いみじくも成熟時代を迎えギアをシフトダウンしていく時期に差しかかった日本にとっても、「引き算」「スリム化」はいまもっとも求められていることなのだ。


# by slowtravel | 2008-01-01 23:54 | おじさん旅はこうあるべし 

PART 6

6.行き先ガイド   

  ~どこに旅したらいいか? お気に入りの場所を紹介。


ここらで、楽しい旅の行き先について、イメージを膨らませていただきたいと思う。
一般的な旅行情報はガイドブックに譲るとして、ここでは前章で述べた「おじさんの旅はこうありたい」という旅のスタンスにふさわしい場所というバイアスをかけて、いくつかのおすすめのところをご紹介したいと思う。

 

●ベトナム  
メコンデルタのエネルギーはすごい!




インドシナ三国のなかでも最近旅行者に人気なのが、メコン河が長い旅路のすえに南シナ海に流れ込むベトナム。とくにメコンの豊穣さを味わうならば旧南ベトナム側だ。社会主義国とは思えないひとびとの熱気と人間臭さは、かつてバンコクやシンガポール、香港などで味わうことができたアジアの猥雑さそのものだ。

ホーチミンシティはベトナムの経済の中心都市。地元のひとびとはいまでも旧称のサイゴンと呼んでいる。勝手にホーチミンと名前を変えた北の支配に抵抗しているかのように見える。こんな反骨精神も、旧南ベトナムのおもしろさのひとつだ。

カフェツアーやファングラオ通りという旅人街もあるなど、旅人にとって便利なインフラも整い、旅のしやすい街となっている。

かつて開高健等の従軍記者たちが投宿しベトナム戦争報道の基地ともなったのがサイゴンリバー沿いのマジェスティックホテル(旧クーロンホテル)。数年前にすっかり改装されてリニューアルオープンしたが屋上のバーは健在で、開高がしたようにグラスを傾けながら夜のはしけの行き来を眺め、数百キロ先で展開された戦闘を思い浮かべてみることができる。

必ず足を伸ばしたいのがメコンデルタ地帯だ。足の便がけっしてよくないこのあたりでは、外国人長期旅行者向けのカフェツアーに参加するのがいい。日本のツアーのイメージとはまったく違うので、ツアー嫌いなひとでも満足できるはずだ。二泊三日で三十米ドルというのもうれしい。

ミトー、カントー、チャウドックなど、メコンが九つの龍の頭のように支流を拡げる一帯の都市を巡り、小舟で運河に分け入ったり水上マーケットをのぞいたりと、それは楽しい旅になる。市場にはものがあふれ、ひとびとは明るくエネルギッシュだ。ベトナムのパワーに圧倒されるに違いない。

これほどまでに観光化されていないナマの生活を間近に見ることができて、しかもエキサイティングな場所というのを、私はほかに知らない。
観光コースとしておなじみの、ベトナム戦争当時のベトコン村を訪ねるクチトンネルツアーも興味深いが、植民地時代に高原リゾートとして開発されたダラットや、美しい海岸線の海のリゾート、ニャチャンなども、日本からの観光客が押し寄せる前に行っておきたいところだ。



●カンボジア
遺跡めぐりでこんなに感動できるとは




ベトナムからメコンをさかのぼったとなりの国がカンボジアだ。
昔から隣国タイとベトナムの綱引きの場にさらされ、近代では西洋列国、そしてつい最近まで国内勢力のぶつかり合いと、つねに戦場となり悲惨な殺戮が繰り返された土地で、まさにアジアの血の歴史の凝縮されたようなところだ。

政情によってはいまなお危険な地域もあるが、正しい情報さえつかめばカンボジアは旅人にとってこのうえなく居ごこちのいい国だ。

バンコクで長期滞在者のたまり場として有名だったジュライホテルが閉鎖され、多くの旅行者がプノンペンに移ったというのも、カンボジアの魅力の一端を物語っているのかもしれない。もちろん、御禁制の品々が手に入りやすいという彼らにとっての特殊事情があってのことではあるだろうが、のんびりした国民性と天の高い抜けるような空、そして物価の安さは旅人にとってたいへんな魅力だ。

ハイライトはなんといってもアンコールワット。遺跡に興味のないはっぱ漬けの白人旅行者でも、アンコールにはせっせと通っている。何百年の時間を超えて流れる大きな時間は、深淵でひとのこころを動かす。

アンコールワットの遺跡めぐりは、バイクタクシーを雇うのが個人旅行者にとっては一般的だ。小さなバイクの後部座席に座ってドライバーにしがみつきながら走る。最初は怖いが、馴れると爽快だ。ドライバーにコースを任せて、二日か三日、アンコールワットからアンコールトムへと回る。高い塔に登り、心地よい風に吹かれてみると、日本での雑事をすっかり忘れ去ることができるだろう。

バンコクからアンコールワットのあるシェムリアプまで直行便が飛びはじめ、便利になった。またタイから陸路で国境を越えシェムリアプをめざすアドベンチャールートに挑む旅行者も増えてきた。プノンペンからは飛行機のほか、トンレサップ湖をスピードボートで渡っていくルートもある。こうした陸路を行くコースは以前はゲリラ活動が盛んで危険を伴っていた。最近になって旅行者がこうしたルートを比較的安全に通れるようになった。これもポルポト勢力が力を弱めカンボジアに平和が戻りつつあるおかげである。カンボジアは、われわれが忘れかけていた、平和であることの素晴らしさが実感できる国でもある。

ただし、カンボジアの政情はかならずしも安定しているとは言い難い。つねに最新の情報を集めて、少しでも危険な状況ならルートを変えるなどの対策をとることが必要だ。



●中国・雲南省
ここはもはや中国ではない!?




ラオスからさらにメコンを遡上すると、麻薬王クンサーで有名なタイ、ミャンマー、ラオス三国が国境を接するゴールデンントライアングルに、さらにのぼると中国領内に入り、シーサンパンナから昆明、大理、麗江と続く雲南省にやってくることになる。

雲南は中国のなかでは暖かく、一番旅行しやすいところだ。北京や上海に住む金持ちたちが、たくさんの少数民族がくらす桃源郷を夢見てやってくるところでもある。いわば中国有数の観光地でもあり、旅の施設も整っている。ほかの都市に見られるような高いばかりでひどいホテルというのもないし、服務員の「メイヨー」(何を聞いても不機嫌に「ないよ」を連発される)に悩まされることもない。

シーサンパンナ(西双版納)は、その名前を聞いただけでも行ってみたくなる美しい響きを持った名前の地域である。実際、昆明などに比べると高度も緯度もぐんと下がって、椰子の葉茂る熱帯となり、住むひともタイ族が多くなる、いわば中国のなかでも南国の色彩の強いところだ。

シーサンパンナの中心都市景洪から一時間ほどメコン沿いに下ったところにあるカンランパという街に数日滞在したことがある。華やかなサロンを着たタイ族が行き交う異国情緒いっぱいの活気のある街だ。


●ネパール 
現代の桃源郷がここに




ネパールは遠い。とくに旅行者にとっては航空運賃の高さから、つい足が遠のいてしまう。しかし、たとえば旅で人生を変えたいと思ったら、まず訪れたいのがネパールである。

ネパールの首都カトマンズまでは、関西空港からロイヤルネパール航空が飛んでいる。ところが、これが高いのだ。ヨーロッパ行きの飛行機代よりも高いことさえある。したがって一般的にはバンコク乗り継ぎで入ることになる。便数も多く、値段も若干安い。

ちょっと旅の通になると、バンコクまでは日本で買い、バンコク~カトマンズを現地発券の航空券で飛ぶという高等テクニックを使う。バンコクは格安航空券のメッカであり、バンコクから世界中の都市への航空券が安く買えるのだ。

無事にネパールに着いたらぜひ訪れたいのが、ポカラだ。
アジアきってのパラダイスはどこかと聞かれたら私は迷わずポカラを挙げたい。
カトマンズから十七人乗りの飛行機に乗って五十分、バスなら八時間。この距離は、桃源郷にいたる道のりとすれば苦にはならない。

ポカラは、ペワ湖という大きな湖に面した高原リゾート地だ。とはいっても、高級ホテルが建ち並んでいるわけではない。交通の便がよくないこともあって、海外の大手開発資本が進出しない、いわばローカルなリゾート地だ。もともとアンナプルナなどヒマラヤ登山の基地として有名だったが、六十年代にヒッピーたちがここの居ごこちのよさに気づきどんどん押しかけはじめ。

ヒッピーたちが去ったあと、ヨーロッパなどから長期の旅行者やリタイヤしたひとたちがのんびりとした時間を過ごすためにここを訪れるようになり、彼らのためのホテルやレストランなどが続々とできるようになった。

現在、ペワ湖のほとり、レークサイドと呼ばれる地区と、そこから五キロほど離れたダムサイドと呼ばれる地区に二百軒ものホテルが建ち並んでいる。お客はすべて外国人。いわば、ネパールのど真んなかにできた外国人村である。

ホテルとはいっても高級ホテルは少ない。ほとんどが千円以下のベーシックな宿だ。それでもこぎれいな内装と清潔なベッド、ホットシャワーがつき、窓からはヒマラヤの山々が望めるといった、リゾートに欠かせないものはすべて揃っている。レストランも、ヒンズーの国なのに牛肉のステーキ屋からピザハウス、中華から日本食までなんでも揃っている。

旅行者たちは自転車を借りて街を走りまわったり、こぎ手付きの貸しボートでペワ湖のさざ波にのんびり揺られたりして過ごす。ボートのこぎ賃はなんと一時間六十円。申しわけないような値段だ。

ボートは大きな湖を二~三時間かけてぐるっとまわってくれる。寝そべって身体を伸ばし、空を見上げる。筆で撫でたような雲が浮かび、対岸の山の上まで連なる段々畑では腰を曲げた老婆が畑仕事をしている。ときどき水鳥が頭のすぐ上を飛び去り、はるか彼方、湖岸の道路ではボンネットバスが土煙をあげて走っていく。

平和を絵に描いたような光景である。少年の頃こんな光景を見たような、そんな懐かしい静かな時間が流れていくのだ。
 
ぎいーっ、ぎいーっという櫓の音が延々と続く。ひとに漕いでもらうボートがこんなにも楽しいものか。いまどき女房だってボートに乗せて漕いでくれるなんてしてくれそうもない。考えてみれば、日本では到底かなわない贅沢の極みである。このボート遊びだけでもポカラに来る価値があると思う。
 
その他、ネパールにはおじさん旅行者がぜひ訪ねたいところはたくさんある。首都カトマンズはもちろん、となり町のパタン、古都バクタプル、エベレストを望むナガルコットなど、ただ美しいだけでなく、こころに深く浸み入る風景がネパールの特徴である。


●ミャンマー
イラワジ河の夕陽にテツガクしよう




ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた仏教国である。長く鎖国状態にあったため経済開放が遅れ、軍事政権は必死に市場開放、外資導入を進めている。が、同時にごぞんじの通りアウンサン・スーチー女史の拘束に象徴される人権弾圧の強権政治も行われており、欧米の旅行者の間では、渡航ボイコット運動も行われている。

ひとびとは男も女もいまだにロンジーという巻きスカートを履き、女は顔にタナカというおしろいをつける。仏教が深く生活に浸透し、挨拶に胸の高さで両手を合わせる。そんなひとびとのノーブルな暮らしぶりがなによりの魅力だろう。こころ洗われる思いは、きっとミャンマー滞在中だれでも何回も経験することだろう。

さらに第二次大戦までイギリスに支配されていたこともあって、洗練された英国文化のなごりがそこここに見られるのも、ミャンマーの魅力をより深いものにしている。

ミャンマーの見どころは地方だ。かつての王都だったマンダレー、世界三大仏教遺跡のひとつであるパガン、カラフルなロンジー用の織り布の産地で、独特の水上生活者が見られるインレー湖など観光的魅力はたくさんある。

パガンは、旅情を誘うに充分なところだ。パガンに来た旅行者にとっての定番メニューは、何日かをかけての遺跡巡りだ。遺跡巡りといっても堅く考える必要はない。なんと、馬車を一台雇い荷台に揺られながらの遺跡巡りなのだ。 カラコロカラコロ……。御者が警笛代わりに鞭の杖を車輪に当てる音がのどかに響く。見渡すかぎりの半砂漠化した大地をそうしてゆっくり走りながら、ひとつひとつ朽ちかけたパゴダや往事を偲ばせる壮麗な寺院を見て歩くのだ。そう、まるでインディ・ジョーンズにでもなった気分で歴史探検を楽しむのだ。

やがて夕暮れ。遺跡の急な階段を登り高台に立って、大小二千とも三千ともいわれる遺跡群が赤く染まるのを待つ。荘厳な風景を目の前に、人生の深遠さに思いを馳せる。生きるとはなにか、などとテツガクしてみたくなる時間が訪れるのだ。


●タイ
ここで人生を変えた人も捨てた人も




アジアといえばタイである。アジア特有の混沌世界、熱気と湿気、農耕をベースにした伸びやかな社会システム……。そうしたアジアらしさをつくるすべてがタイには凝縮されている。

おまけに首都バンコクはアジア各国の航空網のハブ(車軸)の機能を持っているので、アジアを旅行する旅人は好むと好まざるに関わらずタイに立ち寄ることになるのだ。

カオサンに象徴される旅行者を受け入れてくれる開放感はタイ全土にあり、楽しく旅行ができる素地を備えた国ということができる。

タイのおすすめとなるとありすぎて困るほどだ。
南のビーチリゾートもいい。日本人にはおなじみのプーケットやサムイも捨てがたいが、いまやハワイ以上に開発が進み、タイなのかどこなのかわからないほどになってしまった。むしろひと昔前のビーチリゾートであるパタヤのほうが、ベトナム戦争当時に咲いたあだ花の残り香を感じさせるアナクロニズムが楽しめていいくらいだ。

いま、ベストなチョイスというと、バンコクから東に三時間、地元の若者に人気のラヨーンか、サムイからさらに船で一時間と足の便は悪いが二十年前のプーケットを思わせる素朴な自然と村のくらしが残るパンガン島だろうか。

ラヨーンはバンコクの房総半島みたいなところで、比較的カジュアルなビーチリゾート。いくつか高級リゾートも誕生し、可処分所得の高くなったタイの一般のひとたちが結構いい休暇を送っているのを見ることができる。とくに沖合のサメット島は老舗のリゾート地だ。

一方のパンガン島は、ハワイともバリとも違う、南タイらしい風景の残るバンガロー中心の素朴なリゾートだ。二十年くらい前のプーケットやバリのクタビーチなどがそうだったが、ここもヒッピーふうの貧乏旅行者が目をつけはじめたところで、ゴーギャンがタヒチで体験したようなエキゾチックなパラダイス気分を味わうことができる。若者たちは毎晩のようにビーチパーティーを開き、だれでも参加して夜遅くまで騒ぐこともできる。

かつてはこうしたパーティーにはマリファナがつきものとされ、満月の夜に開催されるフルムーンパーティーのためにやって来る若者も多かったが、最近では当局の厳しい取り締まりで少なくなってきている。これも自己責任に基づいて関与するもしないも自由だが、旅行を中止しなければならなくなるどころか、場合によっては死刑ということもありうることを充分にこころされたい。

北に目を転じると、チェンマイを中心にした北タイがたいへん魅力的だ。
チェンマイは美人の多いことでも名高く、われわれの年代ではかの玉本さんの名前を思い浮かべるひとも多いと思うが、現在でも女性の美しさと優しさに溺れて沈没状態のひとは多いようだ。私には経験がないが、日本での豊かな暮らしを捨ててでもはまってしまいたいと思うような、素晴らしい女性との出会いがあるのかもしれない。

さて、チェンマイの魅力だが、現地のひととふれあうことだ。無数にある寺を訪ねてお坊さんと話をする。郊外のドイ・ステープ寺院に行くとタイ中から観光客が集まり、日本人と見るとあれこれ話しかけてくる。さらに足を伸ばしてチェンライからミャンマー国境の街メイサイまで行くと、実はチェンマイ美人の本当の産地はここ、と言われるくらいに日本人によく似た色白で控えめな女性と話ができるチャンスがあるかもしれない。

北タイのもうひとつの魅力は、山岳少数民族の部落を訪ねて歩くトレッキングだ。よく日本のツアーで行くのは日帰りのトレッキングだが、せっかく個人で行くのなら二~三日の現地ツアーを楽しみたい。

ジープ、徒歩、いかだ、そして象とさまざまな移動手段で山間のいくつかの山岳民族を訪ねて歩く。ある程度観光化されているのは覚悟しなければならないが、それでも、日本での生活とのあまりの違いに考えさせられるところの多い旅となるはずだ。 ツアーは現地にくわしいインストラクターがつき、宿泊は少数民族の村となるので少々冒険旅行にはなるが、日本では体験できない新鮮な旅になる。もちろん、おじさんの体力でも充分走破可能なコースだ。


●マレーシア
しばし探検家気分




マレーシアは海洋アジアの象徴ともいえる。なにしろ国土が広大な南シナ海をはさんで東西にわかれるという、バングラデシュ独立前のパキスタンのような状態を呈しているのだ。これも、旧宗主国英国の版図をそのまま新マレーシア国土としたから生じた奇妙な領土といえる。そのなかにマレー系、中国系、インド系など多様な人種と宗教を飲み込んだ複雑な国家となっている。それらをいかにまとめ上げるかがマハティールに課せられた大きな課題となっているほど、国の成り立ちは多くの難問を生じさせている。

しかし、この多様性こそがマレーシアの魅力である。日本では考えられないほど見事に民族間の棲み分けと溶け合いとがほどよく進行している。マレー半島側の西マレーシアはかつて金子光晴が彷徨したマラッカやペナンなど海峡植民地の色彩を色濃く残した伝統的な街が多い。金子と同じようにマラッカ海峡に沈む夕陽を粛々たる思いで眺め、自分の来し方を振り返ってみるのもいい。


マレーシアでのおすすめは、実は東マレーシアだ。ボルネオの名前でおなじみの島の北約三分の一がマレーシア領となっており、サバ州サラワク州の二州からなる。

日本では山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で有名になったサンダカンの街があるところでもある。コタキナバルのような近代都市がある一方で、すぐ背後に深い熱帯雨林のジャングルを抱えているのがボルネオの最大の魅力である。日本から直行便も飛ぶコタキナバルから国内線を乗り継いですぐにジャングルのどまんなかに入っていくことができる。

マレーシア政府は環境と調和したエコロジーツアーに力を入れており、かつては冒険者にしか許されなかったジャングル奥深くの旅が、子ども連れでさえ可能な「ソフトアドベンチャー」ツアーとして楽しめるようになった。

ジャングルの川を小舟で進みテングザルやサイチョウを間近に見たり、ウミガメの産卵を研究者といっしょに観察したりという、新しい旅行のありかたを先取りした試みがなされている。ディズニーランドのジャングルクルーズがバーチャルでなくリアルに、しかもディズニーランド並みの安全が保障されたなかで体験できるというのは旅行者に新しい視点を与えてくれる。しかも、厳格な入域制限が行われており、環境との両立という難しい課題にも応えようとしている。

サラワク州のミリという街から小型飛行機で四十分ほどのムルという集落は、ジャングルのなかの巨大な洞窟で有名なところだ。六~七年前までは川をさかのぼる船で二日がかりでやっとたどり着ける秘境だったが、小さな空港ができたおかげで手軽に入れるようになった。

ここになんと日系のホテルがジャングルリゾートホテルをつくったのだ。川が大きく蛇行してバンクをかたちづくっているところに木製のデッキロードが張りめぐらされ、デッキに沿ってレセプションやレストラン、ロッジスタイルの客室などの建物がつながり、プールまで含めてそれらすべてが川の上に建つという変わったホテルだ。

ここのハイライトは、夕方五時ごろから毎日始まるバットフライング。洞窟に棲むコウモリたちが夕暮れどき、晩ごはんを求めていっせいに洞窟を飛び出すのだ。その数、二十万とも三十万ともいわれる。私は観察場所への到着が遅れ、ピークを見逃してしまったのだが、それでも龍が天に昇っていくように一条の太い帯となってうねりながら無数のコウモリが飛び去っていくさまは圧巻である。


# by slowtravel | 2008-01-01 23:53 | 行き先ガイド 

< 前のページ 次のページ >